#304 特集 バルセロナの熱い瞬間(創刊300号突破記念)

THE SHOOTERS No.304 / 2021年4月20日発行 より抜粋

渡辺和三選手、バルセロナオリンピック トラップ競技種目で銀メダル獲得

ザ・シューターズ創刊#300号突破記念と称して歴史を振り返る第3回の最終回は、1992年(平成4年6月25日に発刊された『特集バルセロナの熱い瞬間』 です。

社団法人日本クレー射撃協会がライフル協会と分離して独立の道を歩き始めたのが昭和25年。以来苦節40年余り、遂に日本クレー射撃協会が世界の頂点に立つ時が来た。渡辺和三(神奈川県協会)44才の快挙である。

U.I.T(世界射撃連合)からトラップ種目で参加資格のなかった日本に枠を1つ与えるといってきたのが6月5日、それから急遽、国内予選を行ったことがシューターズ180号に掲載の通り。そして渡辺選手が日本代表として決定してから直後にマレーシアでのアジアクレー射撃選手権大会へ・・・・・・。2位入賞で帰国して早速本格的な強化に入る。バルセロナへの出発迄、わずか1ヶ月足らず。フォームの改良を試みて連日の撃ち込みとなり寺西監督、笠原コーチを始めとするコーチ陣も一生懸命、正に力と技の限界に挑戦する涙ぐましい強化とメンタルトレーニングが続いたのである。

トラップ表彰式での渡辺選手

『大会1日目 渡辺選手、満射で好調のスタート』

7月18日選手団バルセロナに到着。26日から始まったスキート種目に続いて31日からトラップ種目の競技が始まる。3日間とも快晴無風で温度は33度ぐらい迄上昇する。日中はかなり暑くなるが朝夕はその暑さもしのぎやすい。7組1番立ちでスタートした渡辺選手、隣にはイタリアのベテラン、ベンチュリ―ニ選手。同じ組には5月のプレオリンピックで入賞しているドイツのデメ選手、そして地元スペインのジョセ選手もいてぐっと盛り上がる。渡辺選手まず満射でスタート、すばらしい立ち上がりである。結局この日24、24をマークして73点でトップと1点差の9位につけ意気揚々と選手村に引き揚げる。

正面のクレーを狙う渡辺選手

『大会2日目 気迫の渡辺、すばらしい追いあげで、ついに決勝ラウンドへ』

明けて2日目、前日の好調を持続した渡辺選手は3ラウンドとも満射を続けて75個ストレート。まったく安定した射撃が続く。この時点でドイツのデメ選手と148点で予選トップに躍り出る。

『そしてついに最終日、準決勝、決勝を迎える』

日本のクレー射撃の歴史をみても過去のオリンピックにおいて予選トップで通過した前例はない。ましてや渡辺選手自身も海外大会で初めての経験であったし、相当のプレッシャーを感じているだろうと想像していた。

そして注目の準決勝がスタート、そのプレッシャーのためであろうか、渡辺選手にやや固さがみられる。スタートから7枚目に2枚のミス。何でもないクレーを失中した。

満射で戻ってきた渡辺選手と、迎える寺西監督
Mollet del Valles射撃場
ベンチュリ―ニ(イタリア)

中盤やや持ち直し、祈る後半の射撃は本来のペースに戻っていたかに思われた。しかし最後の25枚目、正面への低いクレーを惜しくも失中。この時点で暗いムードが日本陣営に漂う。しかし最後まであきらめなかったのが渡辺本人と寺西監督このオリンピックに掛けた二人の執念と見事なまでの集中力であった。なんと最後の8ラウンド目、気力で撃った満射で遂に待望の決勝に進出することができたのである。

一枚のミスも許すまいとする渡辺選手の気迫が、神業とも思える射撃を次々と披露したこの場面は、まさに圧巻。じつに感動的なシーンであった。

『期待の中、いよいよ渡辺・フルジリカのシュートオフ、スタート』

やがて大観衆注目の中での決勝が始まる。準決勝を終わってトップにキュベック選手(チェコ)196点、これを1点差で渡辺選手以下4名の選手が追う展開となる。

キュベック選手早くもミスで6人が一線に並ぶ。大接戦となる中で渡辺選手7枚目に左に高く舞い上がる微角度のクレーを失中する。しかし落胆の様子はない。我々もまだいけると確信をもって声援を続ける。ノーミスできたフルジリカ選手(チェコ)も遂に1枚失中。この時、渡辺選手にも残り失中がなければメダルに手が届く、と力が入ってくる。

シュートオフ直前の渡辺選手と寺西監督

そして25枚目が命中した瞬間、寺西監督がまず飛び上がって感激の喜びをあらわした。一方で、感極まって落ちつかない加藤明(神奈川県協会)会長があちこちで握手攻めにあっている。結局、チェコのフルジリカ選手と日本の渡辺選手によるロングラン競射(1発撃ち)によって1、2位を決定するシュートオフになったのである。

そして直ちに始まったシュートオフでは、渡辺選手は1枚目左45度へのクレーを失中して惜しくも金は獲れず銀に終わったのである。

日本製装弾と日本製射撃銃が世界のトップクラスに

競射終了後どっと日本から駆けつけていた大勢の報道陣に囲まれると渡辺選手は、満面の笑みをうかべて「ほっとしています、すべて流れですから」と答えたその表情には金メダルを逃がした悔しさはなく、満足感だけが漂っていた。また寺西監督は、勝因として、バルセロナに入る直前フォームを改良させたことが、より一層安定した射撃スイングを生み出したと分析していた。

かくしてバルセロナオリンピックは終わった。渡辺選手は表彰台に立って銀メダルを胸にモンジェットデルバリエの丘に日章旗を翻すこともできた。射撃を愛する人たちばかりでなく、日本国民全員の温かい拍手に送られてこの感動的なドラマの幕がおりた。

ロビーに姿を現した渡辺選手
家族の出迎え
左から実兄渡辺富和氏 渡辺選手 加藤副会長
寺西監督と宮崎副会長、高橋常任理事
メダリストの記者会見(右は古橋団長)
解団式

いよいよ今年はオリンピックイヤーです。
私たちの代表選手をみんなで応援しましょう。

(広報担当 坂本 強)

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